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テッサはジャスティンを愛していたのか? 映画「ナイロビの蜂(2005)」の感想など(ネタバレあり)

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映画「ナイロビの蜂(2005)」の感想など(ネタバレあり)

 

≪あらすじ≫

アフリカのナイロビでイギリスの外交官として働くジャスティンは、弁護士で救援活動家の美しい妻テッサを殺されてしまう。

失意のジャスティンは、妻が追っていた事件がイギリスの薬品メーカーによる現地の人々を使った人体実験であることを突き止める。

 

以下ネタバレokの方はスクロールを

 

 

 

 

監督 フェルナンド・メイレレス

 

出演 レイフ・ファインズ

   レイチェル・ワイズ

   ダニー・ヒューストン

   ビル・ナイ

   ユーベル・クンデ

   ドナルド・サンプター

   ジェラルド・マクソーリー

   

 

 

 

 

テッサは本当にジャスティンを愛していたのか

 

映画「ナイロビの蜂」は巨大権力を持つ製薬会社や先進国の思惑が絡み合う陰謀サスペンス物語であるが、そんなストーリー以上にテッサのジャスティンへの深い愛に感動した人も多いのではないだろうか。

 

しかしテッサは本当にジャスティンを愛していたのだろうか?映画「ナイロビの蜂」を観終えて考えてみると、単純にそうとも思えない。

注目したいのは映画「ナイロビの蜂」の中でジャスティンがテッサの自分への愛を確信するキーとなったテッサの手記。
この手記で明かされたテッサのジャスティンへの愛こそが彼を突き動かす動力となり、視聴者を二人の深い愛情に釘付けにさせる肝となったわけだ。

 

映画「ナイロビの蜂」ではテッサが自分が活動中に殺されてしまった時の為に、あの手記を書いていたのは間違いない。
しかしその本心はジャスティンへの懺悔ではなく、自分が死んでも製薬会社告発という目的を達成するための保険だったのではないだろうか。

 

テッサはサンディとの取引を悔いてジャスティンを裏切ってしまったと悔いる手記を残しておくことで、その愛の深さに胸を打たれたジャスティンが自分の足取りを何が何でも追うだろうと踏んでたのではないだろうか。

 

映画「ナイロビの蜂」でいつもは活動について何も話してくれなかったテッサが、「外交官の彼の立場を守るため秘密で行動してた」なんてしおらしいこと書いておけば、あのチョロいジャスティンだったらテッサの痕跡を追いたくなること請け合いだ。

 

こうして映画「ナイロビの蜂」のテッサは色仕掛けでサンディから証拠の手紙を入手し、その色仕掛けを行った事実さえも上手くジャスティンに伝えることで、彼の自分に対する愛情をさらに深くさせている。

女としての武器をいかんなく利用し男たちを誘導して目的を果たした、映画「ナイロビの蜂」のテッサ。計画的で実に素晴らしいではないか。

 

そう思えば映画「ナイロビの蜂」では、二人の出会いの場面での空気を読まない先鋭的なテッサのあの振舞いも納得できる。
あえて綺麗事をまくし立て純粋さを見せつけることで、常日頃リアリズムに妥協しながら外交官の仕事を続けていたであろうジャスティンのハートをくすぐって、興味を惹かせて即ハメに持ち込む。
やはりテッサは人心掌握に長けている。実に頭が良いではないか。

 

映画「ナイロビの蜂」ではそうしてメロメロにさせた上で、熱烈アピールをして優柔不断なジャスティンに結婚を決めさせる強かさ。
これによりテッサは外交官の妻としてアフリカで活動できるメリットだけでなく、もしも自分が消されてしまった際も自分の思惑通りに動かせるジャスティンという保険を残しておく事に成功したというわけだ。実に頭がいい。感服する。

かくして外交官の妻となり、その立場による人脈をいかんなく利用しながら虎視眈々と製薬会社告発の証拠を集めたテッサ。

 

サンディの手紙という決定的な証拠を手に入れた後に始末されてしまうも、テッサがかけておいた保険はしっかりと下りた。
映画「ナイロビの蜂」のテッサは死後も思惑通りにジャスティンを手のひらで転がし続け、遂には最終目的である製薬会社の告発を成し遂げてしまったのだ。

 

こうして考えれば考えるほど、やはり映画「ナイロビの蜂」のテッサはジャスティンを愛してはいなかったとしか思えなくなってくる。
この結論は映画「ナイロビの蜂」を愛の物語として観ればテッサが余りにも打算的でジャスティンが不憫に思えるかもしれないが、純粋な野望のために手段を選ばずにジャスティンを利用しまくって目的達成を果たした彼女を嫌いにはなれない。

 

テッサの信念といえば、アフリカを食い物にしている製薬会社を告発して少しでも現地の人々の人権が守られてほしいという気持ちだけ。これは映画「ナイロビの蜂」の中で徹頭徹尾変わらなかった。

いくら弁護士とはいえども24歳の若い女性が巨大企業と闘って勝ち抜くには、持てる武器すべてを使い利用できるものは全て利用するしかなかったのだろう。その命すらも……。

 

では映画「ナイロビの蜂」で終始テッサに愛されずに利用されていたとすれば、そんなジャスティンは不憫だったのだろうか?そうとも思えない。
テッサの妊娠中のジャスティンの幸せそうな姿を見るに、彼が心からテッサを愛していた事に間違いない。あまつさえテッサは自分の帰る家だとまで言っている。相当な入れ込みようだ。

 

映画「ナイロビの蜂」ではテッサの死後不倫の疑念も渦巻いたものの、彼女の手記を読んだことにより結果的にジャスティンはテッサが自分を愛していると思い込んだまま死ねたのだ。

しかも自分の働きによって愛するテッサの遺志を継いで達成できたと思いながら死ねたのだ。これはもうジャスティン的には本意の死ではないだろうか。

 

映画「ナイロビの蜂」のジャスティンは愛されてはいなかったものの、そんな事とは露知らず。愛するテッサの駒となって彼女が彼に望んだ通りの役割を果たして死ねたのだ。

心底愛した女の手のひらで転がされながら、そうとは知らずに相思相愛だったと確信しながら逝けたジャスティン。


テッサの本心がどこにあろうが、映画「ナイロビの蜂」のジャスティンがテッサと出会えて幸せだった事に変わりはないだろう。実に素晴らしいじゃないか。

 

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author:ゆる夫, category:映画・サスペンス, 22:09
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